つらくても頑張るのが人間

ツイートしようと思ったけど長すぎて収まらなかったつぶやきをここで供養します。

中学生の時、体育の先生と「生理の日の体育はつらい」って話をした。

その日、生理の子がいて、そんな話になった。

女の先生で、女の子たちと仲が良くて、友達みたいな感じで喋っていたから共感を期待した。

先生は「ほんとそうだよね〜」と困った顔をして、その後に「でも、つらくても頑張るのが人間っていう生き物なんだよ」と言った。

全て知っているような、何も知らないような顔だった。

それから、室外機の上で寝てる猫なんかを見るたびに「つらくても頑張るのが人間」って言葉を思い出してしまう。

猫はつらい時、頑張らないのだろうか。

頑張るって感覚はないのかもしれない。

つらいって感覚もないのかもしれない。

「つらくても頑張るのが人間」だとしたら、つらくても頑張れない人は、なんなんだろうか。

先生はきっと、激励の意味でああいう言葉を使ったと思う。これから持久走やるぞ、というタイミングだったし。

実際、つらくても頑張るしかない時、その言葉が私を励ましてくれたりもした。

つらくても頑張った先に、楽しさや嬉しさが待っていることもあると知っている。

でもやっぱり、引っかかる。

「つらくても頑張るのが人間」を何度も反芻する。

人間という主語は、デカすぎると思う。

「つらい」も「頑張る」も、比べたり評価したりするのは難しいと思う。

私の生理痛と、友達の生理痛と、先生の生理痛は、ぜんぶ違う。

でもそんなこと言い始めたら、なんだってそうだし、みんな折り合いをつけて(場合によっては無自覚に)理解していることだとも思う。

つらくても頑張るのが人間。

とにかく私は、この言葉をたまに思い出しては、わざわざ自分から「引っかかる感覚」を味わおうとしている。

そういう言葉が、他にもいくつかある。

みんなそんなもんなんだろうか。

itoi

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