2022年2月27日
昨日、福岡から2週間ぶりに東京に帰ってきた。
成田空港から実家までは、電車で2時間弱。
その時間、ほとんどずっと、ウクライナ情勢を伝えるニュースやツイートを見ていた。
渋谷の反戦デモに参加することも考えたが、終了時刻を過ぎていたので諦めた(結局夕方ごろまでやっていたというので、行ってもよかったと少し後悔した)。
家に着いてからも、今日起きてからも、いろいろなニュースを見た。
情報が錯綜していて、真偽の不確かなものも多い。
歴史の解釈や、ウクライナ、ロシアや各国の立場や主張、ただただ犠牲者が増える今日。
正しいことが何なのか、私にはまるでわからない。
それでも戦争はダメだと、そんな当たり前のことを、声を大にして言わなければならない。
2022年、人類はまだ、こんなところにいる。
無力感と、「それでも何かする」ということ
正直、ウクライナ情勢が気になってしまって、ここ2日くらいあまり何も手につかない。
何かしていても、すぐにニュースやツイッターを見てしまう。
ひとりで考え込んで、無力感に胸が締め付けられ、苦しくなって泣いてしまう。
私にいったい、何ができるのだろう。
楽天の三木谷さんは、個人としてウクライナに10億円の寄付をしたという。
スペースX社のイーロン・マスクは、自社の宇宙衛星からウクライナにネット環境を提供したらしい。
お金があれば、こんな時に、無力な自分に(少しでも)苛まれずに済むのだろうか。
「何もできない」と思いながら、それでも何かしないといけない気がした。
小さくても自分にできることをと思い、小さな会を開いた。
「ウクライナ情勢について感じることを共有する会」
集まった3人で、ただただ感じている気持ちを話し合った。
どうすることもできないのに、ずっとニュースを見てしまうこと。
助け合う人がいる一方で、殺し合う人たちがいること。
人の命が軽くなっているように感じること。
涙が出てしまって、家族と一緒にニュースを見れないこと。
何が正解かわからないけど、戦争はダメだと思うこと。
ロシアにルーツをもつ人がいじめられるのは防ぎたいこと。
苦しくて、悲しいこと。
こうした気持ちをひとりで抱えるのは本当にしんどい、と私は思う。
気持ちを共有しても苦しいことに変わりはないけど、そして戦争がなくなったりすることもないけれど、少なくとも私にとっては意味のある時間になった。
(もう一回くらいやりたいね、という話になったので、またTwitterで呼びかけると思います。もしタイミングが合えば、ぜひ。)
今、できること
友人が、こんなツイートをしていた。
#戦争反対
— ANDo (@onaka_itai1219) February 26, 2022
これを言うのに乗り越えなくちゃいけない壁が、恥ずかしいとか柄じゃないとかの程度で済んでいるうちに。
戦争に反対だ。
これを言うことが、今できることだ。
このブログを書いている今、プーチン大統領が「核抑止力部隊」に警戒態勢に移行するよう命じたというニュースが流れている。
核に反対だ。
これを言うことが、今できることだ。
地球の市民として、今ロシアがしていることを、世界各国がしていることを、日本がしていることを、私はをしっかり見ているからな、と。
戦争を非難するオンライン署名もある。
自分のお金が、武器になり人を殺すかもしれないと思うと、寄付にはハードルを感じている。
難民支援の国際NGOや、ポーランドなどの難民支援団体に寄付しようかと考えているけれど、もしくはウクライナの復興支援に寄付するのもいいかもしれないけれど、まだ答えは出ない。
誤情報に惑わされないために
ファクトチェックの推進・普及を行うNPO法人「ファクトチェック・イニシアティブ」(通称FIJ)が、ウクライナ関連のファクトチェック掲載ページを公開しています。
提携メディアの検証記事がまとまっているので、ご参考までに。
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