泥の中のクリスマス・イブ

2020年12月24日、生まれて初めて精神科を受診しました。

適応障害でした。

心の痛みが身体をわかりやすく蝕んでいく感覚は、「辛い」という言葉には収まらないものでしたが、それでも言葉にしたいと思って、本当に少しずつ、このブログ記事を書き進めてきました。

誰かに伝えたいメッセージみたいな、高尚なものを考える余裕はなくて、ほとんどスマホのメモアプリに書き連ねたものをコピペしただけの、結論もない、読むに堪えない記事です。

それでも、私のけじめのために、公開することにしました。

お付き合いください。

 

クリニックの待合室で

診察券と事前に記入していた問診票を受付の人に渡して、名前を呼ばれるのを待っている間、本を読んだ。

ストーリーに没入するような本や小説は、なぜだか読めなくなってしまっていたので、半年以上も机の上に積んだままになっていた『人新世の「資本論」』を読み進めていた。

なんとなくいいなぁと思った一文があった。

資本主義が進歩ではなく、取り返しのつかない自然環境の破壊と社会の荒廃をもたらすなら、単線的歴史観は大きく揺らぐ。
出典:斎藤幸平,『人新世の「資本論」』186ページ

ブルーハーツの歌詞を思い出した。

見てきたものや聞いたこと
今まで覚えた全部
でたらめだったら面白い
そんな気持ちわかるでしょう
出典:THE BLUE HEARTS『情熱の薔薇』

社会科の授業で習った資本主義、今この瞬間も世界を回している考え方こそが、繁栄への欲望の末に自滅へと向かうブレーキのない暴走車なら、こんなに愉快なことはない。

何もかも間違っているのなら、私が自分を惨めだと思うこの気持ちも、行き詰まってしまった状況も、すべて間違いになってくれる。

看護師が診察室の扉を開けて、私の名前を呼んだ。

本をカバンにしまって、ふわふわのダウンコートをただ1人の相棒のように感じながら大事に抱えて診察室に入る。

看護師だと思った女性は、医師だった。

患者を呼びに来る女性は看護師だろうと勝手に思い込んでいたことを自覚して、自分自身に嫌気がさした。

診察室の丸椅子の上で

問診票に自分の状態や受診するに至るまでの経緯を事細かに書き込んでいたので、話はスムーズに始まった。

私はこの時、常に身体が強張っていて、胸が苦しく、唐突に涙が出て止まらなくなるような状態にあった。
風呂に入ったり、食事をしたりすることも億劫。
集中力もなく、YouTubeで好きな動画を見ていても、広告が流れる度に心臓がつぶされるような苦しさを感じた。

ほとんど布団から出られず、病院を予約してはキャンセルする毎日を送っていた。

自分が「こんな風」になったきっかけについては、見当がつき過ぎるほどついていたけれど、それはあまりに下らなくて、理解してもらえそうにもないもので、だから誰にも話したり相談したりはできなかった。

(ざっくり言うと、アルバイト先の上司との相性が絶望的に悪く、その上司の言葉や態度が私の心をぐちゃぐちゃにしてしまったというのがきっかけだった。)

先生が短い質問をして、私はその度に長い長い返事をした。

診察室の丸椅子の上で、みっともなく涙を流しながら話し続けた。

後から診療明細書を見て驚いたのだが、私は30分以上しゃべり続けていたらしい。

先生は、具体的な解決策を提案し、処方箋を出してくれた。

「あなたが悪いということはない」
「このタイミングでわかって良かったという考え方もある」
「本来、精神科の薬なんて必要のない人だと思うから」

そんなようなことを言われた。

このタイミングでわかって良かったと考えるのは、たしかに良いような気がした。

「精神科の薬なんて」と精神科のドクターが言っているのは不思議だった。

晴天

「こんな状態」の人間が、身なりを整えて外に出て、人の目に触れることに耐えながら目的地までたどり着くなど、不可能に近いことだと、私は身を持って実感していた。

だから病院に行けた時点で、私の問題は半分くらい解決していたと言ってもいい。

初診料って高いんだなぁと思いながら精算をして、ダウンコートを着込んで外に出ると、昼前のよく晴れた空が私を褒め称えてくれているような気がした。

鋭い寒さのなかに紛れ込んだ日差しのぬくもりが心地よかった。

もちろん、病院に行けたからと言って、身体の強張りがなくなるわけでも、胸の苦しさが消えるわけでもない。

それでも、病院に行けたことは、あの時の私にとっては奇跡のようなことだった。

私は「今日病院に行けたら、帰りにマッサージをしてもらいに行こう」と決めていた。

ゆったりマッサージでも受ければ、身体の強張りが少しはマシになるだろうと考えたからだ。

今日という日を逃したら、次に外に出られるのがいつになるか分らない。

チャイナ服とカサブタ

当然アルバイトにも行けておらず、本当にお金がなかったが、1時間3000円の台湾式マッサージのお店に行った。

ものすごい贅沢だった。

お店で渡された着替えがチャイナ服(?)風の半袖半ズボンだったので、店主に「これ、かわいいですね」と言った。

言わなくてもいいようなことをわざわざ言うくらいに、私の気分は「いい感じ」だった。

マッサージをしてくれた店主のお兄さんは、私の肌に小さなカサブタを見つけると、ポリポリと取ろうとする変な癖があった。

そのお兄さんに「力を抜いてくださいね」と言われた。

「力を抜くって、どうやるんだっけ」と思った。

チャイナ服も、カサブタを触られる感覚も、力の抜き方を忘れているという気づきも、全てが新鮮で、その色や温度が私の凍えた全身を溶かしにきているような、どこかあたたかな予感が伴っていた。

クリスマス・イブの街

マッサージで少しマシになったカチコチの身体を重々しく動かして、ダウンコートに守られながら帰路についた。

楽しかったり、面白かったり、喜ばしかったりというような気持ちの持続時間は短い。
帰り道を歩くころには、ほとんど元通りの苦しさが私の身体中を貫いていた。

駅前のケーキ屋に、長蛇の列できている。

それを見て、今日がクリスマス・イブであったことを思い出す。

クリスマス・イブだというのに、私はどうしてこんな状態なんだろうか。

改札には、名残惜しそうに手をつなぐ高校生カップル。

「じゃあまた、電話します」

病院の待合室にいた他の人たちも、どこかでこんな気持ちになっているのだろうか。

失ったもの

私は多くのものを失ったと思う。

まず、アルバイト先を失った。
アルバイト先は、慕っている人から紹介された、尊敬してる人の会社だった。
私はもう、その人たちに合わせる顔がない。

時間も失った。
起きていても辛いことが多いので、ほとんど寝てばかりの日々が続いていた。
時間を失うことは、チャンスを失うことに等しい。

信用も失った。
約束を反故にしたり、行くと言ったのに行かなかったりした。
手伝っていたプロジェクトも、途中で投げ出してしまった。

自信も失った。
私はもともと打たれ弱いけれど、立ち直りは早いほうだと自負していた。
こんなに弱くて情けない自分がいることは、受け入れ難い事実だった。

卒業研究の提出を終えて、新しいことに挑戦し、忙しくも満たされた日々を送る予定だった12月。
楽しいクリスマス。

「こんなはずじゃなかった」と何度も思った。

原因になったアルバイト先の上司が悪いとは思わない。
悪かったのは相性だろう。

それでも、憎くないと言えば噓になる。

こんな感情を持っている私は、本当に嫌だ。

美しいストーリーにはならないけれど

じっくり振り返ったり思い出したりして、こんな記事を書くことができるくらいに、私はもう大丈夫。

「挫折と克服」みたいな美しいストーリーに回収することはできないけれど、前向きな気持ちにはなっている。

私の大好きな歌手であるYUIの言葉に、こんなのがある。

昨日を愛せるように今日を生きよう。

今は本当に、そんな気持ち。

常々思っているけれど、人の痛みは比べることができない。

私の痛みは私だけものだ。

でも、ひとつ知っている痛みの種類が増えた私は、その分だけ優しくなれるかもしれないと思う。

 

itoi

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