時給をもらっているわけでもなく、自分に何の得があるわけでもない。
伝えたいなー、仲間になってほしいなーという気持ちでビラを配る。
そういう経験を人生で初めてしました。
自分で作った、思いの詰まったビラを配るのは、アルバイトでビラ配りをするのとは全く違う感覚でした。
署名活動とビラ配り
武道館で行われた、日本大学の入学式。
ティッシュ配りをしている人たちに並んで、署名活動のビラを配りました。
署名活動についてはこちら↓
3時間くらい配って、1人あたり100枚弱くらい捌けました。
3人で配っていたのですが、途中で偶然通りかかった友達(とその友達)が手伝ってくれたりもしました。
署名は既に3万筆も集まっていて、正直予想以上の反響です。
提出に向けてやらなければいけないことがたくさんある中で、数百枚のビラ配りのために時間を使うことが合理的かは、わかりません。
それでもビラ配りをするのは、私たちが「現場」を大切にしたいから。
どこかの誰か、知らない人の知らない活動ではなくて、身近で地続きな「私たち」になりたいから。
わたしとビラ配り
ビラ配りの経験は一度だけ。
高校3年生の頃、小さな海鮮丼のお店でアルバイトをしていた時でした。
あまりにもお客さんが来なくて暇だったので、「ちょっと、ビラ配りでもして来ていいですか」と言って店の前に立ちました。
「暇すぎて耐えられないから、とにかく人に来て欲しい」というだけで、海鮮丼を売りたいという気持ちはありませんでした。
それでも、ビラはけっこう受け取ってもらえて、受け取った人がそのままお店に入ってくれたりして、嬉しかったのを覚えています。
嬉しかったこと
今回のビラ配りで、嬉しかったことがいくつかあります。
さっきも書きましたが、気持ちのこもったビラは、受け取ってもらえた時の嬉しさが1.5倍くらいです。
チラッと見てくれただけで嬉しい。
興味を持ってくれただけで嬉しい。
「入学金だって」と話題にしてくれて嬉しい。
受け取ってくれて嬉しい。
読んでくれて嬉しい。
わざわざ引き返してもらってくれる人、友達の分まで余分にもらってくれる人、足を止めて話を聞いてくれる人。
インターネットで宣伝するだけではきっと辿り着けなかった人へ届けられているという実感がありました。
あと、今回のビラは、100%私がデザインしたので、自分の作ったものが人の手に渡っていく嬉しさもありました。
「ご入学おめでとうございます」と声をかけると、「ありがとうございます」と返ってくる。
小さいけど、こういうことも、嬉しかったです。
悲しかったこと
悲しかったのは、「女だからもらってやった」と聞こえたこと。
私より手前で同じビラを配っている友達がいて、その友達からは受け取らなかったのに、私からは受け取る人の中に、そういうことを言う人が何人もいました。
ビラを受け取ってもらえて嬉しいなと思ったら、後ろから聞こえる集団の会話。
「おめー何受け取ってんだよ!ww」
「いや、女だからもらっちゃったww」
「絶対そうだと思った〜マジ最低www」
興味をもってくれたわけじゃなくて、私が女だから受け取ってくれたのか、とちょっと悲しくなりました。
女であることが役に立つならそれでいいと割り切る気持ちもあるけど、やっぱり悲しい。
贅沢な感情でしょうか。
「女だからもらってやったけど、なにこれww」
「可愛かったから受け取っちゃったわw」
「おい受け取ってやれよ、可哀想だろ!」
色々な反応があって、色々と考えました。
自分から人に紙を配っておいて、ちょっと嫌なことを言われたくらいで被害者面しようなどとは思っていません。
それでも、悲しいことを悲しいと言うことくらいは許されると思っています。
大学生のノリについて
私も3月まで大学生だったので、大学生のノリみたいなものはまだまだ身近に感じています。
集団で歩いている時に、男の人からはビラを受け取らず、女の人からだけビラを受け取るとウケるのは、ちょっとわかる。
「女たらしキャラ」の人はけっこういて、「きもち悪りぃ」とか「でたよコイツw」とか言われることで笑いを取ったりしています。
私の周りにもいるし、私もそういう人に「キモ〜!」とか言いながら笑っている時があります。
だから、私からビラを受け取ることを笑いのために使う人や、冷やかしてくる人も、分断された「向こうの人」には感じません。
ギャハハと笑って通り過ぎていく新入生たちと、どうすれば「私たち」になれるのか。
考え続けていきたいと思います。
次回のビラ配り
こんな嬉しかったり悲しかったりのビラ配り、手伝うよ〜という方がいたらお声がけください。
次回は4月12日(月)、武道館前で、東京大学の新入生へビラ配りをします。
仲間募集中です。
itoi
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