小学生は太宰なんか読まずに、かいけつゾロリを読め

20歳を過ぎて、もうこれからは「成長」じゃなくて「老い」なのかと。
今この瞬間の自分が、今後の人生のなかで最も若いのかと。
そんなことを考えるようになりました。

私は中学生の頃から、いや、小学生くらいの頃から今現在まで、何も変わらずに生きてきた気がしていました。
でも、小学生のころ好きだった重松清はもう読んでも面白くないし、中学生のころに好きだったボカロの曲も今はもう聴いても感動できない。保育園の頃に本当に憧れてたプリキュアも、今はただ懐かしいだけ。

何も変わらないつもりでいるのに、変わっていってしまう自分がとても歯がゆいです。

急ピッチで成長しつづけた20年。
この節目に、強く思うことがあります。

それは、「今楽しめるものは今楽しんでおくべき」ということ。

特に、子供の時代は、その時しか楽しめないものがたくさんあります。
小学生は太宰なんか読まずにかいけつゾロリを読め、とまじめに思っています。
本や映画、音楽はもちろん、遊び方なんかもそう。

大人になってからは、子供時代に比べれば変化の速度が遅いので、同じものを楽しめる期間が長めだと思います。
それに比べて、かいけつゾロリを心から楽しめる期間は、人生においてどれだけ短いのか。

そして、これは子供と大人だけの話ではありません。
今日の自分と、明日の自分が同じだと、誰が保証してくれるのか。
今良いと思っているものを、本当に明日も良いと思えるのか。
今、何かを楽しめること、良いと思えること、それはすごくすごく素敵なことなんじゃないか。

プリキュアを見て、今でも私はワクワクできます。
でもこれは、当時のワクワクあってこその感情なんじゃないか、と思います。
朝早く起きて、毎週楽しみにテレビの前に座っていた、あの頃の私の、最高のワクワク。
その感覚の、疑似体験。

最高のワクワクを思い出せる、ワクワク。

楽しめるということが、自分にとってのその作品の価値をはね上がらせます。

そして、楽しんだ経験そのものは、揺るがない。

だから、小学生には背伸びせずに今しか楽しめないものを思う存分楽しみなさいとお節介を言いたいし、私も今楽しいと思うことを大切にしたいです。
そして私の友達にも、今良いと思うものを全力で楽しめ!と、言いたい。


すごく抽象的な話で人に伝わるかわからないんだけど、私は普段歩いてる時とかこういうことを考えるのが好きです。
みんな、楽しんでいこう。


最後に、どうでもいいんですけど、最近家にあるぬいぐるみの配置を変えました。
今まで居場所が定まらなかったジェラトーニに、めっちゃぴったりで可愛い居場所を作れて大満足なので写真を載せておきます。

itoi

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